本田翼

母に連れられてばあちゃんが入ってた施設へ。豪栄道にスニーカーで来たことを咎められる。途中なぜかパンイチで施設内を歩く羽目に(経緯の記憶はない)。これはまずいだろうということで、アラブでアラブ人に間違えられた彫りの深い顔の友だちに頼み、更衣室の借用を手続きしてもらう。

 

更衣室というか、車のなかに服があるので、鍵の受け取りのため食堂へ。駐車場は食堂を出て芝生の広場を越えたところにある。途中で知り合いに会う。パンイチなのであまりうろうろするわけにはいかず、人目につかないスペースを、と思っていると、端の方に本田翼が座っていたので助かった気持ちで話す。

 

なかなか鍵を受け取れず、アラブでアラブ人にアラブ人と間違えられた友だちの親が新しく買った車が600万だか700万だかという話を聞いて、車の鍵を壊してしまえばいいと思って実行しなくてよかったと思う。さっき会った知り合いの、なんJ語を話す大学時代の先輩がやってきて、なにか話す。

 

その先輩が流れで本田翼の髪を手櫛でなで、本田翼はめちゃくちゃ引く。それを見て笑っていると、本田翼がぼくの髪の毛についていたホコリをつまんで取ってくれる。しゃがんでいたので付いたのかもしれないと思う。暑くて喉が渇いて起きて台所に向かう。よく見ないで手元にあったコップで水を飲む。

 

ふと目を開けると、コップの底がめちゃくちゃ汚れていて、なにか洗剤を漬けていたものかと思い、トイレ掃除をしていたYに聞くと、縁が欠けたから単に横によけといたものだという。隣にあるキレイなコップを使えと言われる。そのとおりにしてまた寝ようとすると、変な味はしなかったかとYが言う。

 

しなかったと言うと、そう、と言ってYも寝て、ぼくは見た夢の話を書く。まだ寝ないのとYが言う。まだ寝ないと言うと、寒くないか聞いたのだとYが言う。寒くないと言って、Yのうでをさわるとすべすべしている。今日は日曜日だとYが言う。だんだん日が昇ってくる。カーテンが白む。眠くなってくる。

思ったこと

「最後まであきらめない」という務めは下手な管理者のもとでは超過勤務と結びつく。品質向上のために必要なのはコストと時間であるというマネジメントは、まず第一に無限のリソースなど存在しないという点で誤りである。リソースが無限に使用できるのであれば資本主義などなしですませることができたはずだし、自分たちの土地を奪われて追い出されることも、その報復による死も涙もなかった。成果物をあきらめなかったことの根拠は、限られたリソースの適用可能範囲を見極めるそのやり方にしか求められ得ない。

どれだけの時間が費やされたかでその仕事を見るということは、わたしにはどのような知恵もないと嘘をつくようなものである。頭のなかには電卓しかなく、目の前の物事にいちいち金額をつけて、周囲の人間は自分より多く金を払うのかどうかばかり気にしている。自分より金を持っていない者を見下し、自分より金を持っている者はその分だけ自分より偉いのだと錯覚している。時間もまたリソースだった。若者より老人の方が偉いから席をゆずるのか? 勝手に年功序列を敷き、老人に見下されていると自分を蔑み、かといって自分は若者でもないのだとひとり空回りするより、若さと老いを技術への習熟度と視野の違いに置き換えられないだろうか。いまこのわたしには、若い部分と若くない部分があって、「若かったわたし」はもうすでにわたしではなくなっている。

超過勤務と健康被害とのあいだには明確な相関関係があり、一般に過労死ラインと呼ばれる「月80時間以上の残業」を避けるべきという定量判断は、この管理体制では機能しなかった。定量判断とは、見えにくい成果を見えるようにするものではなく、見えにくいものを見ないままで判断するための道具でしかない。定量判断は知恵ではない。定量判断は絶対評価であり相対評価ではない。「わたしの残業時間のほうが多い」「わたしが若い頃はもっと働いていた」という主張は意味をなさない。あらゆる環境が異なるにもかかわらず、いったい何が比較できるというのか。

「いまの時代に適切でなかった」と言う。定性的に物事を見ている気でいるが、適切である時代などかつてあっただろうか。そこで言われている「適切」とは量的判断であって、定性的な性質はかけらもない。「定性判断」などという言葉は存在していない。定性的に物事を見るとは、ただそれに耳を傾けることであって、そこになんらかの判断が下される余地などない。このように悲惨な状況において耳を傾けるとき、出来事にショックを受ける以外に、なにか発言を差し挟んだり、それに対し意見を言うことができる者などいるのだろうか。

わたしたちは目にしたものについて語るが、それが語られるとき、つねに耳を傾けていなければならない。感情のおもむくままにしながら、ただいっさいの言葉を口にしてはならない。口をつぐむこと。なにかを口にした瞬間に見えないなにかが死んでいく。誰も知らない。わたしが耳を傾けているあなたにとってもそれは同じで、それは、相手の口からこぼれでる声のとなりで音を立てずに沈んでいる。そんなふうにわたしたちには思われる。

 

「死んでしまいたい」 過労自殺電通社員、悲痛な叫び:朝日新聞デジタル  http://www.asahi.com/articles/ASJB76CXTJB7ULFA033.html

長時間残業「自慢合戦」の無意味 電通新人の自殺で直視すべき問題 http://www.j-cast.com/2016/10/10280212.html

長谷川秀夫教授「残業100時間超で自殺は情けない」 投稿が炎上、のち謝罪 http://www.huffingtonpost.jp/2016/10/08/pro-hasegawa-talks-bout-dentsu_n_12411532.html?ncid=engmodushpmg00000004

 

追記

 

セクハラ及びパワハラがはなからなかったことになっている、月5hだけ制限を厳しくしたところで例外である特別条項が常態化していて月100hの超過勤務をなくすことはできない、組合や既存の制度はこの超過勤務の申請を承認するにしろ、申請がないことから知らぬ存ぜぬをとおすにしろ、あきらかに機能してない。この時間の消灯だけでは意味がない。電気が点いている時間だけで月150h以上の超過勤務が可能な計算になる、これでは「節電」以上の効果は見込めない。

 

電通本社 夜10時に一斉消灯 過労死自殺受け https://t.co/uldhEW9lqk

読書メモ

「現実は資本主義ではない」 「もはや、友愛は存在しない。我々にとって、政治だけが在る」

不可視委員会『The call (l'appel)』 Appel | Bloom 0101

「可能性の実在化」と「潜在性の現実化」はフィクションとノンフィクションに対応している。「可能性の実在化」というのは実は反転させられていて、可能性は、実在からはじめて、実在するものの類似として、あたかもはじめから存在していたかのように捏造されるものだ。

「力 power」は潜在的なものなのだろうか。それだけでは疎外論に陥るのではないか。わたしたちが取り戻したいほんとうなどないのではなかったか? いまは奪われているが、そのうち取り返すつもりのものたちであるということは、やはりフィクションなんてなんの力もありはしないのでは?

「力」がフィクションでない、つまり「潜在-現実」のラインだとすると現実は「力」が弱いままなので、まだまだ「力」は潜在にとどまっている状態ということになる。じゃあやっぱり現実がいちばんでフィクションはいらない? そうじゃない。とすると「力」は取り戻すべきもの? それも違う。

資本主義がなくなるという可能性、一方で資本主義があるという事実。現実ではなく。「現実は資本主義ではない」。「力」は可能性でも潜在性でもないが、「力」を使うことは可能でありいまだ使われていないという意味で、可能性であり潜在的である。

「力」とは潜勢力であり、いまだ現れていないもの、現さないでいることができるもの、と言える。わたしたちが本来的に所有しているのではない、ただ使用していないだけの、使用しないでいられるもの、使用することができるもの。

実在するものではなく。作り出され、考え出され、生み出される可能性でもなく。

政治は在る、と言うとき、潜勢力は在る。潜在性の現実化とは、現に働かせるということだった。所有しているものと所有していないものではなく、使用しているか使用していないか。使用することができるか、使用しないでいることができるか。

そうしてアガンベンと不可視委員会を読んでいました。

通学路

この人生でいちばん古い記憶は、和室へのおどろきだった。正確に言うと、ハタチになる年に出ていくことになるマンションのかつて和室だったあの部屋で、ようやく彼はこの自分というものを認識したのだった。人間のにおいが感じられないほどなにもない部屋の、みどりいろのざらざらを撫でているとき、飛んだり跳ねたりしているとき、ふすまの貼り紙や木枠に手をあわせているとき、押入れのなかに閉じこもって、寝ころんだり立ち上がったり頭をぶつけたりしているとき、かたいんだかやわらかいんだかわからない畳というものと同時に、それをたしかめているこの指や手のひら、爪、それを動かしている腕、肘、肩、反対側にも同じ肩、肘、腕、手があり、それらがこの私によって動かせるということ、私、反対側ということ、胸、腹、股、両脚、二つ、腿、脛、足首、足、指、爪先、数をかぞえるということ、指と爪は五つずつついているらしいということ、手腕と脚足がなんらか近しいものに感じられるということ、この感じるということ、また、扉を閉めることで部屋の明かりが遮られ暗くなるということ、同様に目を閉じることでものが見えなくなるということ、まぶたやそれを動かす筋肉、その周囲の肉のひろがりであるところの顔、口、声、それを発する喉、また、こだまする音、耳、叩くと木のくずが舞うような、においがするということ、におうこと、鼻、なんだか味がするような感じがすること、舌を動かすこと、口、顎、首、胸、一周して、この感じるということ。 しかしすぐに忘れてしまう。見ていたもの、触れていたもの、聞いていた音、声、におい、どれも記憶にはない。ながい時間が経ったあとで、同じマンションの幼なじみの家に遊びにいったとき、柱や壁のつくり、机や家具の配置が異なることに気づいたことはあった。また別の幼なじみの家でも、さきほどとは異なるものの、自分の家とは違うことはわかった。あれはいくつの時だろう。 「ろうくんは、ちゅーしたことある?」と幼なじみの彼女は言った。ない、そう言ったはずである。実際そうだったはずである。

マンションの5階に住んでいたのでエレベーターで一階まで降りる。

エレベーターホールが集合場所になっていて、班の全員が集まると出発。

あれ、あの子いないなと思うと代わりにお母さんがいて、今日は休みと教えてくれる。

マンションの敷地から出て目の前の川沿いを左に歩いていく。

みんなドブ川と呼んでいる。

ほんとうの名前は菖蒲川だったが、なんど聞いてもすぐに忘れた。

川沿いは桜並木で、すこし行ったところにはお花見スペースがあって春はいつもにぎわっていた。

桜の季節がおわると毛虫が大発生して、学校から注意報が出るくらいだった。

川沿いをずうっと行って、十字路で右に曲がる。

その十字路に会社の駐車場のようなものがあった。

ドラム缶が二つ三つ立てておいてあって、冬は氷が張っている。

なるべく大きいかけらになるように割るのが楽しみだった。

大きすぎても持ち上げたときに割れてしまうから気をつけて割った。

登校時間が遅いと、他の班に先を越されてしまうのがかなしい。

室外機の前を通ると熱気がすごくて、夏は暑いけど冬はあたたかかった。

その室外機のうらにススキがたくさん生えていて、よく草笛にして遊んだ。

外側の葉っぱをとって、うちがわの芯のうすいみどりの茎を持って、吹く。

ちょうど真ん中がほそい管になっていて、独特の音色が出る。

道路を一つ二つ超えて三つ目の交差点でまた左に曲がる。

昔、一つ目の十字路で弟が自転車で横から出てきた車に突っ込んだ。

横から出てきたというか、車はきちんと一時停止していたが、そこに横から弟がぶつかった。

運転手のひとはすごく心配していたが、弟はにやにやしていた。

二つ目の十字路はけっこう大きな交差点で、信号がながかった気がする。

右に大きい駐車場があって、夏になるとほおずきが生っていた。

その駐車場のむこうにアルミ缶のリサイクル工場があって、友達と鬼ごっこでもぐりこんだりした。

アルミ缶のプレスされたものがいくつも積み上げられていて、そのあいだに隠れた。

駐車場と反対に左に行くと山だうどんがあって、野球クラブの子たちは日曜の練習のあとにお母さん連中に連れられてよくみんなで行っていたらしい。

信号をわたったところに古い大きな木造の家があった。

電信柱や木が等間隔にあって、なぜかいま思い返すと池袋のサンシャイン通りの入り口の景色が重なる。

ここを通るときはいつもランドセルの横にぶら下げた給食袋がひっかかったらどうしようと思っていた。

それで三つ目の十字路を左に曲がる。

110番の家があったが、朝はいつも気づかない。

田んぼがあったが、いつかなくなってマンションが立った。

向かいには大きい倉庫があった。

大きなトラックが何台も停めてあった。

トラックのタイヤのしたでねこが寝ていた。

一度だけ走っているトラックのタイヤのホイールが飛んできたことがあった。

歩道の縁石を歩いて落ちて骨折した子がいたらしい。

あとは道なりに歩いていくだけで小学校までたどり着く。

倉庫を過ぎると道はちょっと右に曲がる。

Googleマップで見ると柵で囲まれた芝生の空き地が見えるが、昔はなんだったか思い出せない。

芝生の空き地を過ぎるとバイク屋がある。

大人になったらバイクに乗るものだと思っていたが、いまだに免許も持っていない。

そのうちバイク屋の向かいにマンションが建って、ここに住んだら小学校が近くていいなと思っていた。

小学校のまわりは植え込みとネットで囲われていた。

ネットには一ヶ所だけ穴が開いていて、植え込みをくぐって、そのネットの穴をくぐって登校することができるという噂があった。

ぼくらの通学路からみると、小学校の正門は対面にあった。

植木は秋になっても緑のままで、常緑樹ということばを知ったときのイメージはずっとこれだった。

そのさきにプールの壁があって、いつかの卒業生が絵を書いていた。

壁づたいに右に曲がって、左にプランターがあって、サルビアオシロイバナが植わってあった。

よく花を摘んで蜜をなめた。

するともう学校の門が見えてきて、教頭先生にあいさつをする。

世界のわたしたち

エラー発生の被疑箇所を正常に動作する資材で置き換えるという極めてシンプルな論理性に対して、不謹慎さ、倫理観の欠如及び悪魔的な超越等の指摘はナンセンスだが、そんなセンスのなさがこれから生きることになる親子には与えられないでほしいというのがイニシャルを選択する発信元のマスコミの倫理だ。

唯一ありうる問いとしては「わたしたちの子どもと言うとき、それを満たす要件とは何か」であり、そこから「『わたしたち』とは何か」という問いが明らかになってくる。アレントが『人間の条件』で引用していた「わたしたちのもとに子どもが生まれた」という聖書の一節。

人間事象の領域である世界は、そのまま放置すれば「自然に」破滅する。それを救う奇蹟というのは、究極的には、人間の出生という事実であり、活動の能力も存在論的にはこの出生にもとづいている。いいかえれば、それは、新しい人びとの誕生であり、新しい始まりであり、人びとが誕生したことによって行いうる活動である。この能力が完全に経験されて初めて、人間事象に信仰と希望が与えられる。ついでにいえば、この信仰と希望という、人間存在に本質的な二つの特徴は、古代ギリシア人がまったく無視したものである。彼らは、信仰を、非常に奇異なものであり、それほど重要でない美徳であるとして低く評価し、他方、希望とはパンドラの箱の幻想悪の一つにすぎないとしたのであった。しかし、福音書が「福音」を告げたとき、そのわずかな言葉の中で、最も光栄ある、最も簡潔な表現で語られたのは、世界にたいするこの信仰と希望である。そのわずかな言葉とはこうである。「わたしたちのもとに子供が生まれた」。

なにはともあれ、子どもは生まれてくる。生まれてくるのは、まず第一にこの世界においてである。わたしたちのもとに生まれた子どもだが、子どもが生きているのは世界においてである。この世界において生きているという点で、わたしたちはみな子どもであると言える。

この世界の子ども=わたしたち

この「の」という格助詞が気になっている。わたしたちはこの世界に所有されているのだろうか?数えきれないほどのわたしたちの制限事項は、所有する-される関係の証しなのかどうか。「わたしたちは世界のものである」または「世界はわたしたちのものである」と言うとき、この格助詞「の」は何を意味しているのか。なによりも、「わたしたちの世界」または「世界のわたしたち」とは?

世界初、DNA的に「3人の親をもつ赤ちゃん」のいま|WIRED.jp

上田岳弘『私の恋人』

1716年、吉宗が徳川幕府8代将軍となった。享保の改革に着手し、この島国の黎明期をつくった。若冲が生まれたが光琳が死んだ。彼らのすばらしい絵画はいまでもなまで見ることができる。海の向こうの遠い場所でライプニッツが死んだ。人間のものごとのいしずえになったと言える時代だった。

1616年もまたすごい時代だった。セルバンテスシェイクスピア、家康、お幸が死んだのだ。ひとつの時代が終わった、と後の世の人々は何百年たっても口をそろえて言い続けた。

10万年前のホモサピエンスはまだアフリカ以外の土を踏んだことがなかった。温暖化にともなう海面の上昇で住める土地が少なくなってきた。大きな火山が噴火した。それから10万年たったいまでもあのときの噴火がいちばんだったと人々は言った。あつくなったりさむくなったりして、みんな服を着るようになった。この状況に適応するため、ひとつの虫がしずかに進化していた。10万年間続いているホモサピエンスは2万5千年前に火をつかうことを覚えたばかりだった。7万年後に絶滅するネアンデルタール人は16万年間続いた。いちばんふるい絵画がこの時代のものだった。だれもかれもが忘れてしまってから3万年がたっていた。描かれた理由もどのような意味が込められているかも、もはや知るものはいなかった。海と大地だけが、なにが生きてなにが死んだかを覚えていた。北極星はまだ北極星ではなかった。

制御棒処分、70m以深 国の管理10万年 規制委方針:朝日新聞デジタル