通学路

この人生でいちばん古い記憶は、和室へのおどろきだった。正確に言うと、ハタチになる年に出ていくことになるマンションのかつて和室だったあの部屋で、ようやく彼はこの自分というものを認識したのだった。人間のにおいが感じられないほどなにもない部屋の、みどりいろのざらざらを撫でているとき、飛んだり跳ねたりしているとき、ふすまの貼り紙や木枠に手をあわせているとき、押入れのなかに閉じこもって、寝ころんだり立ち上がったり頭をぶつけたりしているとき、かたいんだかやわらかいんだかわからない畳というものと同時に、それをたしかめているこの指や手のひら、爪、それを動かしている腕、肘、肩、反対側にも同じ肩、肘、腕、手があり、それらがこの私によって動かせるということ、私、反対側ということ、胸、腹、股、両脚、二つ、腿、脛、足首、足、指、爪先、数をかぞえるということ、指と爪は五つずつついているらしいということ、手腕と脚足がなんらか近しいものに感じられるということ、この感じるということ、また、扉を閉めることで部屋の明かりが遮られ暗くなるということ、同様に目を閉じることでものが見えなくなるということ、まぶたやそれを動かす筋肉、その周囲の肉のひろがりであるところの顔、口、声、それを発する喉、また、こだまする音、耳、叩くと木のくずが舞うような、においがするということ、におうこと、鼻、なんだか味がするような感じがすること、舌を動かすこと、口、顎、首、胸、一周して、この感じるということ。 しかしすぐに忘れてしまう。見ていたもの、触れていたもの、聞いていた音、声、におい、どれも記憶にはない。ながい時間が経ったあとで、同じマンションの幼なじみの家に遊びにいったとき、柱や壁のつくり、机や家具の配置が異なることに気づいたことはあった。また別の幼なじみの家でも、さきほどとは異なるものの、自分の家とは違うことはわかった。あれはいくつの時だろう。 「ろうくんは、ちゅーしたことある?」と幼なじみの彼女は言った。ない、そう言ったはずである。実際そうだったはずである。

マンションの5階に住んでいたのでエレベーターで一階まで降りる。

エレベーターホールが集合場所になっていて、班の全員が集まると出発。

あれ、あの子いないなと思うと代わりにお母さんがいて、今日は休みと教えてくれる。

マンションの敷地から出て目の前の川沿いを左に歩いていく。

みんなドブ川と呼んでいる。

ほんとうの名前は菖蒲川だったが、なんど聞いてもすぐに忘れた。

川沿いは桜並木で、すこし行ったところにはお花見スペースがあって春はいつもにぎわっていた。

桜の季節がおわると毛虫が大発生して、学校から注意報が出るくらいだった。

川沿いをずうっと行って、十字路で右に曲がる。

その十字路に会社の駐車場のようなものがあった。

ドラム缶が二つ三つ立てておいてあって、冬は氷が張っている。

なるべく大きいかけらになるように割るのが楽しみだった。

大きすぎても持ち上げたときに割れてしまうから気をつけて割った。

登校時間が遅いと、他の班に先を越されてしまうのがかなしい。

室外機の前を通ると熱気がすごくて、夏は暑いけど冬はあたたかかった。

その室外機のうらにススキがたくさん生えていて、よく草笛にして遊んだ。

外側の葉っぱをとって、うちがわの芯のうすいみどりの茎を持って、吹く。

ちょうど真ん中がほそい管になっていて、独特の音色が出る。

道路を一つ二つ超えて三つ目の交差点でまた左に曲がる。

昔、一つ目の十字路で弟が自転車で横から出てきた車に突っ込んだ。

横から出てきたというか、車はきちんと一時停止していたが、そこに横から弟がぶつかった。

運転手のひとはすごく心配していたが、弟はにやにやしていた。

二つ目の十字路はけっこう大きな交差点で、信号がながかった気がする。

右に大きい駐車場があって、夏になるとほおずきが生っていた。

その駐車場のむこうにアルミ缶のリサイクル工場があって、友達と鬼ごっこでもぐりこんだりした。

アルミ缶のプレスされたものがいくつも積み上げられていて、そのあいだに隠れた。

駐車場と反対に左に行くと山だうどんがあって、野球クラブの子たちは日曜の練習のあとにお母さん連中に連れられてよくみんなで行っていたらしい。

信号をわたったところに古い大きな木造の家があった。

電信柱や木が等間隔にあって、なぜかいま思い返すと池袋のサンシャイン通りの入り口の景色が重なる。

ここを通るときはいつもランドセルの横にぶら下げた給食袋がひっかかったらどうしようと思っていた。

それで三つ目の十字路を左に曲がる。

110番の家があったが、朝はいつも気づかない。

田んぼがあったが、いつかなくなってマンションが立った。

向かいには大きい倉庫があった。

大きなトラックが何台も停めてあった。

トラックのタイヤのしたでねこが寝ていた。

一度だけ走っているトラックのタイヤのホイールが飛んできたことがあった。

歩道の縁石を歩いて落ちて骨折した子がいたらしい。

あとは道なりに歩いていくだけで小学校までたどり着く。

倉庫を過ぎると道はちょっと右に曲がる。

Googleマップで見ると柵で囲まれた芝生の空き地が見えるが、昔はなんだったか思い出せない。

芝生の空き地を過ぎるとバイク屋がある。

大人になったらバイクに乗るものだと思っていたが、いまだに免許も持っていない。

そのうちバイク屋の向かいにマンションが建って、ここに住んだら小学校が近くていいなと思っていた。

小学校のまわりは植え込みとネットで囲われていた。

ネットには一ヶ所だけ穴が開いていて、植え込みをくぐって、そのネットの穴をくぐって登校することができるという噂があった。

ぼくらの通学路からみると、小学校の正門は対面にあった。

植木は秋になっても緑のままで、常緑樹ということばを知ったときのイメージはずっとこれだった。

そのさきにプールの壁があって、いつかの卒業生が絵を書いていた。

壁づたいに右に曲がって、左にプランターがあって、サルビアオシロイバナが植わってあった。

よく花を摘んで蜜をなめた。

するともう学校の門が見えてきて、教頭先生にあいさつをする。