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読書メモ

「現実は資本主義ではない」 「もはや、友愛は存在しない。我々にとって、政治だけが在る」

不可視委員会『The call (l'appel)』 Appel | Bloom 0101

「可能性の実在化」と「潜在性の現実化」はフィクションとノンフィクションに対応している。「可能性の実在化」というのは実は反転させられていて、可能性は、実在からはじめて、実在するものの類似として、あたかもはじめから存在していたかのように捏造されるものだ。

「力 power」は潜在的なものなのだろうか。それだけでは疎外論に陥るのではないか。わたしたちが取り戻したいほんとうなどないのではなかったか? いまは奪われているが、そのうち取り返すつもりのものたちであるということは、やはりフィクションなんてなんの力もありはしないのでは?

「力」がフィクションでない、つまり「潜在-現実」のラインだとすると現実は「力」が弱いままなので、まだまだ「力」は潜在にとどまっている状態ということになる。じゃあやっぱり現実がいちばんでフィクションはいらない? そうじゃない。とすると「力」は取り戻すべきもの? それも違う。

資本主義がなくなるという可能性、一方で資本主義があるという事実。現実ではなく。「現実は資本主義ではない」。「力」は可能性でも潜在性でもないが、「力」を使うことは可能でありいまだ使われていないという意味で、可能性であり潜在的である。

「力」とは潜勢力であり、いまだ現れていないもの、現さないでいることができるもの、と言える。わたしたちが本来的に所有しているのではない、ただ使用していないだけの、使用しないでいられるもの、使用することができるもの。

実在するものではなく。作り出され、考え出され、生み出される可能性でもなく。

政治は在る、と言うとき、潜勢力は在る。潜在性の現実化とは、現に働かせるということだった。所有しているものと所有していないものではなく、使用しているか使用していないか。使用することができるか、使用しないでいることができるか。

そうしてアガンベンと不可視委員会を読んでいました。