「箸の持ち方って誰に習った?」ぼくは彼女に訊いてみたことがあった。

「おかあさんか保育園の先生だと思う」と彼女は言った。ぼくは誰に習ったんだろう。もし母親に習っていたのだとすると、息子がおかしな箸の持ち方で何年間も目の前で食事をしているのに一言も注意しないのは変だ。もしかすると、息子が気にも止めないやり方で矯正しようと努めてくれていたのかもしれない。ぼくは気づかなかった。いつだったか両親が離婚して、それからは母親といっしょに食卓を囲むということがほとんどなくなってしまったため、箸の持ち方のことはしばらく忘れられていた。ぼくはぼくで、この持ち方は他のひとにはできない、ぼくができるのは手先が器用だからだ、などと思っていたので、自分でなおすという気はまったくなかった。だからって、誰にも指摘されてこなかったというわけではないはずだ。

「年少さんのときに習うのかもしれないね」と彼女は言った。たしかに、こども教室に通っていたぼくは年中から幼稚園に入った。でも、年中でも年長でも注意されたことがあったのかどうか。ぼくとしても、当時の自分がどのような言葉をしゃべっていたか、周りからどのように語りかけられていたのかということについてははっきりとしたことはなにひとつわからず、思い出せるのは、はじめて箸の持ち方ということについて自分がなにか考えたとすれば、小学校一年生のときに教室の壁に貼ってあったポスターだった。そこには正しい箸の持ち方が描かれていて、ぼくはその正しい持ち方をイメージしてみたものの、手元に箸がなかったので再現することもできず、掃除の時間が終わったので掃除用具をかたして、すっかり次のなにかに心移りした。その日、家に帰ってからの夕食の時間、次の日の学校での給食の時間にはポスターのことはすっかり忘れられてしまって、それ以降、そのポスターも見かけなくなった。